たまごはふしぎ
みどりの野原にたまごが落ちていました。たまごは雪のように真っ白でした。だれのたまごかだ れも知らない、謎のたまごです。めんどりが「これはわたしのよ」といいます。すると、おんどりが「これは、めんどりのよりおおきいぞ。だから、これはわた しのだ」といいます。ところが、ねこが「おんどりがたまごうむかしら?これは、ねこのたまごです」という。こんどは、いぬが、ねこがたまごを生むものか、 「わらわせないでくれたまえ」と、文句をいいます。そのとき、たまごがみしりと鳴って、割れ目ができます。そして、中にいたのはなんと!めんどりでも、お んどりでも、ねこでもない、あひるの赤ん坊でした。「ほら、ぼくだよ」といって、あひるの赤ん坊はたまごのカラから出てきます。
あひるの赤ん坊が、まず言ったのはなんだったでしょうか?そこから先は、ぜひ、こどもたちといっしょに読んでいただきたいと思います。この本は、とくに 新聞や雑誌、図書館のおすすめの本のリストにあげられることはありませんが、あかちゃんから幼稚園の年長さんくらいまでのひとたちが、自分から手を出して 読みたいと思う絵本の一冊です。
めんどりのたまごでない、というのにはちょっと驚きます。たまごはめんどりが生むのが常識だからです。つぎに、おんどりが「わたしのだ」というので、読 んでやっている大人は、あれっと驚きますが、こどもは驚いたりしません。おんどりがまじめなので、こどももまじめに「そうだ」という顔で聞いています。読 んでいるこちらも、何食わぬ顔ですまして、ふつうの感じで読むようにしています。話の展開を乱さないほうがいいと思うからです。こどもは、とくべつに目立 つような反応を示さないかもしれませんが、心のなかでワクワク、ドキドキしているのが伝わってきます。なんだろうと思って見ていると、たまごから、あひる の赤ん坊が出てきます。これには、納得がいきます。
さて、あひるの赤ん坊が、まず言ったことはなんだったでしょうか?それを聞いて、たまごを囲んでいろいろ意見をたたかわせていた動物たちは、あひるの赤ん 坊のために一所懸命に走り回ります。そのおかげで、あひるの赤ん坊は、むくむく大きくなります。こどもにとって、満足のいく結末になっています。
ところで、野原に白いたまごが落ちていたというと、思い浮かべるのは『ぐりとぐら』です。野ねずみのぐりとぐらは、みつけたたまごで、とくべつ大きなカ ステラを作って、おおぜいの動物たちと分け合って食べます。ワニもいればライオンもいるし、象も蛇もいます。みんなおだやかなたのしそう顔をしていて、そ の動物本来の性質は、まったく忘れられています。聖書に描かれているような天国のようです。おまけに、たまごのカラで車まで作って運転するのですから、そ のうれしさは最高点に達します。
けれども、絵本を閉じると、ふと疑問がわいてきます。あのたまごはなんのたまごだったのでしょうか?お腹のなかに入ってしまったので、いまさら、そんなことは考えないほうがいいのかもしれません。でも、わたしの疑問は、解決されず、いまも気になっています。
この2冊の絵本は、はぼ同じ時期に出版されています。『ふしぎなたまご』がオランダで出版されたのは、1962年です。日本語版は2年後の1964年で した。いっぽう、『ぐりとぐら』は、福音館書店の月刊絵本の1963年12月号として配本され、その後ハードカバー阪が出版されました。どちらも、いまま での50年間変わることなくこどもたちに親しまれているといってよいでしょう。
それにしても、大人のわたしは、謎が解決されるお話と謎は謎のまま楽しく終わるお話のちがいに、なんとなく西洋と日本のちがいを感じてしまうのですが、なぜでしょうか。
絵本にも、文化や社会、ひとびとの考え方が反映されていて、それがいつのまにか絵本を通しても無意識のうちに次の世代へと受け継がれていくように思えます。