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ピアジェ博士と日本ピアジェ会日本ピアジェ会|ピアジェ理論|幼児教育|創造的教育|能動的記憶|ぺたぺたシール|児童心理学

  • 昭和 36 年 3 月

    発達心理学者ジャン・ピアジェの理論を応用し、松井公男は初めて切り抜いて貼る操作的教材を開発してピアジェ理論を普及。現在の「かず・ことば・かんさつ」などの教材をその他の教材に発展。

  • 昭和 43 年 11 月 12 日

    スイスのジュネーブでピアジェ氏を訪問。博士の理論を現場に適応している教材を説明する。教材慣習ピアジェ博士は資料をジュネーブ大学に永久保存にすると大変喜ばれた。12日はインヘルダー博士を紹介される。

  • 昭和 43 年~昭和 45 年

    当時は心理学会では有名なピアジェ理論ではあったが、幼稚園関係者には無名であった時代であるので、全国で講習会を開催。また、 ヨーロッパ、カナダ、アメリカを訪問して、「国際幼年教育者会議」 の参加を呼びかける。大阪幼稚園友の会および大阪幼稚園協会を発展的に解消。文部省より、中央教育審議会で初めてピアジェ理論の発達段階がモデルとして紹介される。

  • 昭和 45 年 6 月 21 日~ 26 日

    心理学の巨人ピアジェ博士が来日。国際幼年教育者会議を開催。ピアジェ博士は主席講師として講演。世界で初めて「記憶と知識」の論理的背景と、50年にわたる研究の成果を土台にして」創造的教育論」を発表する。

  • 昭和 45 年 6 月 25 日

    京都国際会議場において、世界で初めて国際幼年教育者会議が開かれました。松井公男は、この会議の大会委員長を勤めました。記憶と知能の相関関係から、理路整然と講演された理論こそが、ピアジェ博士の「創造的教育論」であったのです。

  • 昭和 45 年 6 月 28 日

    「幼児教育を考える」でピアジェ博士と松井公男が共にテレビ出演。

  • 昭和 47 年 7 月 24 日

    ハーバード大学を訪問し、認知研究所を見学、またジェローム・S・ ブルーナー博士(ハーバード大学教授)を日本へ招聘し、第10回幼年教育研修会を開催(松井公男大会委員長)

  • 昭和 50 年 11 月 4 日

    教材「ファーストシリーズ(60単元)」の教材をピアジェ博士に監修して頂き、「可能性を含むすばらしい教材である」(右下の写真)とサインしていただく。ジュネーブ大学ピアジェ会のゴールド会員に松井公男が推薦される(テンプル大学主催)。
    昭和50年(1975年)7月19日台湾でピアジェ理論の実践について研修会を開催。

  • 昭和 53 年 12 月 22 日

    クリスティン・ジリエロン博士(ジュネーブ大学研究主任)を日本に招待し、78年幼年教育者会議を開催(松井公男大会委員長)重なりの実験発表。

  • 昭和 54 年 9 月

    松井公男が世界の20人の特別会員に選ばれる。(アメリカピアジェ会)

  • 昭和 56 年 7 月 24 日

    ピアジェ博士追悼・第19回春季研修会開催 インヘルダー博士よりピアジェ博士のご逝去の知らせを受ける。19回夏季研修会において、「ピアジェ博士追悼式」を行う。
    会場:大阪青少年会館

  • 昭和 62 年 1 月

    幼稚園教育要領のあり方についての見解を塩川文部大臣に提案。ピアジェ理論の重要性の意見書を提出し、平成2年の幼稚園教育指導要領改訂の総論に生かされ、量から質への教育転換の理論的根拠となる。

  • 平成 2 年 7 月 28 日

    スイスからサーダ・ロベール博士、アメリカからジョージ・フォーマン博士を招聘し、国際幼年教育者研修会を開催(松井公男大会委 員長)

  • 平成 7 年 7 月 24 日

    アメリカからジョージ・フォーマン博士(マチューセッツ大学教授) を招聘し、アジア幼年教育者会議を開催(松井公男大会委員長)

  • 平成 8 年 7 月 24 日

    カリフォルニア州立大学斎藤紀子博士が来日。以後毎年、春と夏の 研修会に来日し、ピアジェ教育の実践を講演する。

  • 平成 12 年 7 月 24 日

    松井公男、カリフォルニア州立大学より教育に貢献した証しである、 教育功労賞を受賞する。

  • 平成 15 年 7 月 24 日

    カリフォルニア州立大学付属教育大学より教育貢献賞を当会より3名受賞
    ●鴻池学園第2・3幼稚園、歩学園幼稚園
     園長 : 松井 和男
    ●鴻池学園幼稚園
     園長 : 梶 美知子
    ●朝陽ヶ丘学園幼稚園
     副園長(当時) : 小林 芳子

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